【訂正】つるかめ食堂は現存ですが、ZARAの階段を降りた場所では無く、思い出横丁です。

砂川紛争から60年安保反対へ
砂川事件(すながわじけん)は、東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)付近にあった在日米軍立川飛行場の拡張を巡る闘争(砂川闘争)における ... 当時の住民や一般人の間では主に「砂川紛争」と呼ばれている。 ... との間の安全保障条約から日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約へ)に反対する社会党などの「非武装中立を唱える左翼勢力を益するだけ」という理由からだった。

浪人時代に砂川紛争に参加した、その時代の雰囲気がありありと語られます。学生運動の団体の内部対立、共産党との関係、応援していた町の人々。藁を腹に巻いて戦ったり、どこからともなく歌われた「赤とんぼ」の歌。
紛争から帰ってきた学生を温かく迎える駅員、飲食店、世の中が政治に熱かった。
60年安保反対デモの前身の1959年のデモ。
このデモがきっかけになって、全国に安保反対デモが、広がって行きました。
それが、翌年の国会前の大規模デモに発展していきます。
ブントとは何だったのか。日本共産党との位置関係は?
社会がどうあるべきかの模索の中で、学生運動の寵児、唐牛健太郎が現れます