4回に渡ってお送りする「学生運動の証人」シリーズ。
当時、全学協の書記長だった惣川修さんに、余すところなく語っていただきました。

惣川さんは、60年安保のヒーローの唐牛健太郎と親交が有り、
同じくヒーローだった、東大ブントの島成郎とも親交が有りました。

今回は、60年安保反対運動が盛り上がった
社会的素地、時代背景、などを語っていただきました。

インタヴュアーは、
惣川さんと同じ、都立青山高校の後輩で作曲家の若桑ハナヲさんです。

若桑さんのお母さんは
樺美智子さんが犠牲になった60年安保反対デモに参加されており、
当時のお話をうまく引き出していただけました。

この時の学生運動から、
セゾングループの堤さん、日テレの氏家さん、読売のナベツネさん、といった
高度経済成長を支えていく人材が生まれていきます。
また、別役実、加藤剛といった文化を支える人も排出します。

社会のあり方、人間のあり方をとことん考えた学生たち。
終戦後のこと、高校の時のこと、その時代背景に迫ります。

今は、かなり忘れられた左翼史。

当時の学生が何を考え、そして、どう行動したか。
4回のシリーズに分けて、公開します。

第一回 安保闘争の時代背景
第二回 砂川紛争から60年安保反対
第三回 唐牛健太郎
第四回 学生運動の実際とその後

市民運動はどうあるべきなのか、深く考えさせられるインタヴューになりました。

生きていることの証、社会と自分との位置を必死に考えた、
生き生きした生の躍動を感じることができます。

東大ブントは、左翼集団でありながら
日本共産党ともアメリカともロシアとも対立し
真の人間のあり方とは何か、を追求した。

しかし、既存の権力は打破できなかった。

これ以後、市民運動というものが収束していきます。

市民運動、学生運動は収束していくものの
そこで活躍した学生たちがその後の経済やマスコミ、思想界を支えていくことになります。
日本の政治史上のエポックだった学生運動の真髄をお楽しみください。

===========

血のメーデー事件(ちのメーデーじけん)は、1952年5月1日(木曜日)に東京の皇居外苑で発生した、デモ隊と警察部隊とが衝突した騒乱事件である。事件は一部の左翼団体が暴力革命準備の実践の一環として行ったものと見られている。戦後の学生運動で初の死者を出した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/血のメーデー事件

※出典 Wikipedia