日本で初めて社交ダンスを広めた、故中川三郎氏。
三郎氏のご長男が、一般社団法人リズミーハーツ協会・代表理事の中川大輔氏です。

今回は、大輔氏に社交ダンスの心や日本におけるダンスの歴史、
そして、最近取り組まれている、認知症予防のためのプログラム
「ダンシングウォーク」についてお聞きしました。

故中川三郎氏から受け継がれた社交ダンスの心とは、
やさしさといたわりあい。

コミュニケーションの基本である、こうしたこころをはぐくむためにも
そして、現代では問題となる認知症予防についても
ダンスは役に立つそう。

ダンシングウォークを通して
人と人とのコミュニケーション力をはぐくみ、
認知症予防へとつなげていくとつなげていくことができるそうです。

【中川大輔 氏】

1938年、我が国の社交ダンスの第一人者 中川三郎氏の長男として東京・赤坂に生まれる。ブラジル・マッケンジー大学で中南米史学を専攻。帰国後、中川三郎ダンススタジオを父と共に展開し、2万人以上の生徒を直接指導。新しいダンスの創作やミュージカルの制作を担当し、現在に至る。

一般社団法人リズミーハーツ協会

https://rha1938.wixsite.com/rha1938

【中川三郎 氏】

中川三郎(なかがわ さぶろう、大正5年(1916年)3月9日‐平成 15 年(2003年)10月24日)は「社交ダンスの父」と呼ばれる、日本におけるモダンダンスの創始者。昭和5年日本歌劇の創始者である伊庭孝に師事、15歳でその主宰する歌劇団で初舞台を踏む。昭和7年単身渡米、ニューヨーク市立大学に学ぶ傍ら、ジョニー・マティスンにタップダンス、モダンダンスの手ほどきを受けた。昭和8年日本人として初めてブロードウェイの劇場に出演、昭和10年「詩人と農夫」を踊り注目を集めた。昭和11年帰国後、吉本興業の専属ダンサーを経て、昭和13年帝劇の松竹楽劇団のソリストとなり、タップダンサーとして一時代を築く。「擬装の麗人」と呼ばれ、昭和の日本の興行界に一大センセーションを巻き起こした。